基本の成り立ち
「教科書の教え方ではダメだ」「今までの漢字ドリルのやり方は意味がないんじゃないか」
なんていう言葉がたまに聞こえてきます。
たしかに、担任している学級の子ども達には合わない場合もあるでしょう。だからと言って教科書に書かれている方法や今までたくさんの先生方が実践されてきた漢字ドリルや計算ドリルのやり方が決して否定されるレベルの方法ではない気がします。
教科書に関してはたくさんの人たち協力し、長い時間を費やしてようやく出来上がるものです。決してその場の思いつきで出来上がるものでもないし、特定の子ども達に向けて作っているわけでもありません。
さらには、教科書にある1つの単元をとってみても、その学年の中だけで完結しているものはなく、小学校の中でも1年生〜6年生まで積み上がっていくような内容で考えられている場合がほとんどです。
私たちが学校を異動したとしても、ある程度同じ質で授業ができるのも教科書のベースがあってこそのことだと思います。その考えや経緯を考慮せず「教科書の教え方はダメだ」というのは少々傲慢だと思います。
また、今では色々な漢字の指導方法が本やインターネットで学べたり、タブレットを活用した学習も増えてきたりと従来の漢字ドリルの学習に否定的な意見も散見されます。
こちらに関してもその学級にあった指導を追求していけば、おそらく従来の指導よりも効果が上がるのは確かだと考えます。ですが、今までの漢字ドリルの指導が否定されるレベルかというとそうではないと思います。
漢字ドリルの指導には先人の知恵がたくさん詰まっていると考えます。そこには一定の学力の向上が見込める他、効率や、多くの先生が使っていることによる認知度、学年に合わせたカスタマイズのしやすさなども含まれていると考えます。
多くの人が長く使ってきたという結果そのものがこの指導の評価ではないでしょうか。
このように「教科書の教え方」であったり「ドリルの指導」であったり、教育現場における基礎を疎かにせず、大切にできているでしょうか?
基礎の大切さ
皆さんは守破離という言葉をしっていますか?
守破離 … 茶道や剣道などの芸道・武道の修行の過程を示す概念。
- 守 … 教え・型・技を忠実に守り、身に付ける段階
- 破 … 研究し、良いものを取り入れ、型・技を発展させる段階
- 離 … 身に付けた型・流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階
先ほどの「教科書の教え方」や「ドリルの指導」は「守」です。
教科書に書かれている指導方法を忠実に再現するだけでも十分に子ども達の成果は見込めます。算数であれば授業の流れになる「型」が教科書にはあります。問題を確認したり、個人で考えたり、問題を解いたりなど、急に突拍子もないことは出てきません。
確かに型に嵌め込むことは、面白くないという見方もあります。
ですが、自分の独りよがりの考えや指導で右往左往している段階であれば、まずは基本に忠実な指導を目指してみてはいかがでしょうか?
十分な「守」の力がつけば「破」が見えてきます。今までの経験と万人に通用する基本を組み合わせようやく安定したあなたの指導が芽を出してきます。
どんな学級でも、飛び入り参加の授業でも活躍される先生は「離」の域に達しています。ゆくゆくはあなたも力をつけてきっとそうなるでしょう。
「離」の段階の先生の授業は見よう見まねでコピーできません。喋り方や空気感、子どもの引きつけ方や褒め方など様々な技を使っています。
千里の道も一歩からと言います。基本をついつい疎かにしそうになるこの時期に今一度考えてみてはいかがでしょうか?
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