優しい先生
私は駆け出しの頃は児童や生徒、保護者に信頼してもらおうとして優しい教師であることが一番大切だと思って頑張ってきました。
今ではその価値観は変わって、子どもにかける優しさには注意を払うことが出てきました。それは優しさなのか、はたまた甘やかしているだけなのか。優しさと言うと聞こえはいいですが、取り扱うのが難しいのもまた事実です。
私のとっていた優しさは、誰から見られてもいい人であろうとした気持ちからきていたのかもしれません。だから結果としてあまり上手くはいきませんでした。
それもそのはず。相手のことを考えて行う優しさと言うよりは、自分のことを考えて行う優しさです。場合によっては優しさではなく、子どもたちを甘やかすことになっていたのでしょう。
それから相手のことを考える優しさを身に付けようと意識するようになりました。
でも、やっぱり上手くいきません。
原因はクラス全員の意見を尊重し、優しさをかけようとすると必ず矛盾が生まれてきました。
当然誰かの信頼は得られましたが、同時に誰かの信頼は失われました。そうやって誰かの評価や信頼ばかり気にしていては自分というものがなくなっていきます。自分の芯をもっていない先生は信頼されなくなります。
足りなかったのは優しさではありませんでした。
毅然とした態度
たくさんの失敗を経験して必要だと感じたのは、「毅然とした態度」でした。
毅然…意志が強くしっかりしていて、物事に動じないさま。
毅然とした態度…「何事にも動じない様子」「信念を貫く様子」「道理が通っている様子」などを表す。
ビジネスのシーンでも毅然とした態度をとれる人は信頼されます。それは、自分の主張をしっかりと伝えられる人だからです。人の意見に流されがちな人は、うまく丸め込まれてしまうことも多いです。
教師はクラスの決定権や学年全体の決定権を持っています。どのようなシーンであっても、自分の意見をしっかりと主張できることが何よりの信頼につながります。
ですが、これが結構難しかったりします。
例えば、「授業中はシャーペン禁止です」というルールがあったとしましょう。1ヶ月間は問題なくルールが守れていたのですが、Aさんから「Bさんがシャーペンを授業中に使っていた」という報告を受けます。
Aさんに話を聞いたところ、「今日は鉛筆を全て忘れてしまったのでシャーペンを使っています。」と返されました。
まずここでどんな理由があるにせよルールを破ったことは事実です。ここで叱ること(怒鳴る・怒るとは違います。)が出来るかどうかがまずは毅然とした態度であるかどうかです。
親しい間柄であったりや今日は許してあげたくなったり、許すことは簡単です。なぜなら叱ることはとてもパワーがいります。ですがそのタイミングを見過ごしてしまうと、今度は許してもらったことを見ていたBさんが不満をもったり、同じ行動にでたりします。
そして一回許してしまったことを叱ることはなかなかできません。
どんなときでも自分の感情ではなく、最初に決めたルールや道理を重んじて行動できる「毅然とした態度」を身に付けることは、間違いなく信頼される教師への第一歩だと感じています。
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